「もはや私は何も生み出せないのではないか」
そう思うことが時々ある。

この文章は自分を振り返るための文章である。

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私が物語を作る理由は
「誰かを楽しませたい」あるいは
「誰かの苦しみに寄り添いたい」である。

その"誰か"にまず入るのは、"私自身"あるいは"過去の私"であり、
作成した物語が別の誰かに有用であればそれは良かったねというスタンスなのだ。

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さてはて、私の今の苦しみとは何だろうか。

結論から述べると
「結婚とか幸せな家庭とか子孫とかに憧れを感じるが
 性格とか経済状況的に無理そうだし
 結婚しても幸せになれるとは思わないし(結婚とは不利益を分配する契約であると思う)
 かといって残すべきゲーム制作も進んでなくて気分が沈んでいる」

あ、完璧に今の苦しみが表現できてしまった気がするぞい。

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今日、昼寝をしていると夢を見た。
小中学校時代の友人が結婚して子供を作り、赤子を眺めている幸せそうな夢である。

目が覚めて、しばらくぼんやりと考えていた。
彼は今どうしているだろうか、死んではいないだろうか。
昔の同級生が結婚したという話は時々聞くが、死んだという話は聞かない。
私が知らないだけで、既に亡くなっている人も何人かいるのではないだろうか。

世の中には内向型の人間と外向型の人間がいるそうだ、
大雑把にいうと、
人といるとエネルギーを消費するのが内向型、エネルギーを充填できるのが外向型だ。

私は前者(内向型)の人間である。

人といると疲れるのに、一人でいると寂しさを感じるという
ディスシナジー持ちのカードみたいな人間である。

神は人間の多様性を確保するのは良いが、カードバランスをもう少し考えて頂きたい。

ネット上の友人や、同級生が結婚したとか子供を授かったという話を聞くと
「めでたい!」と返している。本当にめでたいし良いことだと思う。
幸せになってほしい。

でも、私が作るべき物語はめでたくない人間に寄り添うべき物語だと思う。
「一人息子を失って、もはや子供を作ることが叶わない人の物語」
「改造人間にされて子宮を失った(火薬とか詰まってる)人の物語」

"幸せでない人の苦しみに寄り添う物語"たぶんこれが書きたい。
大勢に受け入れられるようなものではない、暗いけど誰かに必要な物語が書きたい。